3月5日(火) 「25日 大槌町・釜石市・南三陸町 そして神戸」

ロックンロール仮設住宅

海から丘を上がると、




仮設住宅

 


ロックンロール仮設住宅!!



ロックンロールな熱めな風呂を頂きまして、



大槌町

津波被害の多かった場所へ行ったわけではありません、

ここが帰り道であり、元住宅街であり、町全体の現状であり、日常です。



 





2年が経っても、この状況ですが、

町の復興計画図はあるらしく、それを見た阿部力君によると、それはまるで近未来都市、

こんなの作るの何十年かかるんだぁ!!と思っていると、まさかの3年後2016年完成予定!!

力くん・「ポジティヴ過ぎるんですよ・・・」

確かに、、、


ちなみに、許可が下りれば、すぐにでも家を建てたいそうです。

津波が来たら、また逃げる、また家を建てる。

そのリスクも含め、それが ”海の恵みで生きる” という事なんだそうです。


ただ、住宅地をどこにするか?などなど、いまだ復興計画が決まっておらず、

行政から、住宅の建築許可が下りないんだそうです。

3年後の近未来都市計画との矛盾。。。

3年後はどうなっているでしょう。


大槌町ありがとう!!





釜石

釜石を通過する途中、たまたま見つけたバスのお店!!

 

これがメチャクチャ美味かった!!

外に見える建物は被災したままの建物。



大槌は津波で建物を根こそぎ持っていかれ、現在は平野と化しているので、

元々どんな町だったかがわからないのですが、

釜石や石巻は、被災した建物がアチコチに残されたままなんですな。

4Fまでガラスが割れたマンションとか、、、かなり驚きます。


そして釜石市では、行政の復興計画の遅さに業を煮やした人々が、

元々の場所に、援助金を受けず自費で復活した店舗が多くあるらしいのですが、

なんと、復興計画にて「そこは住宅地にするから、立ち退いて」と要求をされ、

大問題になっているんだそうです。



南三陸町 ex歌津町

元は歌津町、現在は合併し南三陸町。

平地になったままで、気配がありません、





仮設商店街



特に工事をしているわけでもなく、あまりの人の気配のなさに驚いたのでした。



南三陸町 ex志津川

元は志津川、現在は合併し南三陸町。

「南三陸 福幸きりこ祭」

 

町を忘れないために、、、

切り子さんにより刻まれた、以前そこにあったお店からのメッセージ。

 

 


南三陸に行ったのは初めてなんですが、

ここもまた、津波に根こそぎ持って行かれた町なんですね。



かつての志津川という町はなくなり、平野になったまま日常が過ぎている。

どこも日々復興が進んでいる、と思っていたのですが、、、

ここまで進んでいないというのには、、、驚きです。

何故なんでしょう???


行ったからにはと思い、写真を載せたのでした。



24:00 神戸到着

大人の事情にて、説明出来ないのですが、翌日の演奏のため、

仙台より新幹線にて、1995年阪神・淡路大震災より復興を遂げた神戸へ!

 1995年1月


岩手県大槌町を出発してから12時間、ようやく神戸到着。

水が出なかったり、流れないトイレだったり、極寒だったり、、、

なにかと不便だった所から、一気にハイクオリティなホテルへ。



気軽に言ってはいけないという事はわかっているのですが、

一人というのもあったんでしょうが、

突然現実に引き戻されたようで、なんだか寂しく、あの不便さが恋しいと思ったのでした。


震災後、何度も東北に足を運ぶ人々は、

最初は支援という気持ちだったんだろうけど、徐々に別の理由が出来ているのかもしれないな、

なんて思いつつ、普段はしない一人飲みなのでした。



26日 07:00 神戸

そして快晴の神戸にて、思いっきり仕事をし、久々に自宅に戻ったのでした!!



今回も多くを学んだ素晴らしい旅なのでした!!



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