11月8日(火) 「5日 THE STREET BEATS LIVE!! 広島 ”岩手との繋がり”

4日 朝日新聞広島版を発見!!


 11/2の新聞

広島出身ビーツのOKI さんと、岩手県大槌町のビーツファンとの、震災以降これまでの話を書いた記事。

その内容をザックリ時系列に書きますと
(今手元に新聞がなく、僕の記憶だけでかなり要約して書いております)


大槌のビーツファンが、ビーツのサイトに、1通のメールを送った事から始まる。

「俺達は家も何もかも津波で流されてしまったけど、みんなでビーツを歌って上向いて頑張ってます!!」


それを読んだOKI さんが、物資とアコギを持って大槌に行き、皆が非難している家で歌い、大合唱となった。

その後、OKI さんは、結果毎月、大槌などに訪問する事になる。


”など”というのは、新聞には載っていないが、

ビーツのスタッフが南三陸町出身で、彼の実家も流されてしまった事、

また、岩手県宮古市や久慈から、復興ライブをやって欲しい、との連絡が入っており、大槌以外の各地も訪問しているため。

そして宮古の復興ライブは先月に大成功している。


新聞の話に戻りまして、僕も知らなかったんですが、

その大槌のビーツファンである一組の夫婦は、震災以前から、

新婚旅行は ”広島に行きたい” と思っていたと。

それを聞いたOKI さんが「ならば面倒みるから来ればいい」という事になり、

彼らは11月に行われるビーツのライブに合わせ広島にやって来る。


といった内容の記事。


11月に行われるビーツのライブ??? 明日の事じゃん!!と俺も新聞で知る!!


ちなみに、何故新聞で取り上げられたかというと、

朝日新聞の会合が大槌であり、

その会合に出席していた大槌のビーツファンが熱く語った事が発端なんだとか。

全ては、OKI さんのダイアリーに載っております!!


それにしても、いい事をして新聞に載るって、凄い事です。



5日 広島 胡子神社

胡子神社、胡子大祭(えびす講)の準備が始まっていた。


ライブハウスのすぐ近くであり、アーケードの中に胡子神社はある。


今年、早3回もお参りしている。

その理由は、

単に近いから、観光気分、一応地元の神様に挨拶でもしておこう、、

ではあるが、ちょっと調べてみたら、

胡子神社における胡子大祭は400年も続く祭りで、

昭和20年8月6日原爆が落ちた年にも、わずか3ヶ月でバラックの仮社殿を建て、
(写真は昭和21年)

同年11月20日に祭典を行ったんだとか!!

なんとパワフルな神社であり、祭りなんだぁ!!

そのサイトの締めには以下の文章が載っていました。


福の神えべっさんはいつも変わらぬ笑顔で皆様を見守っています。
「笑う門には福来たる」という言葉があるように、
辛い事があってもくじけずに、毎日を清く明るく過ごしていくことが幸福への第一歩です。
何事も前向きに頑張りましょう。
日々の繁栄・幸せは笑顔と共にあります。


偶然ながら、パワフルな神社に御参りに行っていたようです。



11月2日 ライブ

いきなり熱い。

何かが違う、適当に言っているわけではない、広島特有というわけでもない、

気のせいかもしれないが、どこかこの日特有な、いきなりな一体感。

この日はカメラも入っており、、

カメラマンがいきなりの盛り上がりに、思わず笑いながらバンドよりお客さんを撮影していたのを覚えている、

驚いたり、嬉しかったりすると笑ってしまうものであり、俺も思わず笑った。

そして大槌から来た夫婦の笑顔も即確認出来た!!


中盤 ”大切なあの街へ” ”MY HOME TOWN” という曲。

どちらも、故郷広島を想う素晴らしい曲である。

大槌の夫婦はどんな気持ちで聞いただろうか?

俺は曲中、初めて愛知県蒲郡が思い浮かびました。



MCより

OKI さんは大槌の夫婦を色々案内する中、原爆資料館と原爆ドームに行ったそうです。

OKI さんは、最初に大槌の町を見た時に、

幼い時から写真で見たきた被爆直後の広島の風景みたいだ、と思ったそうです。

確かに。



がしかし、その13年後には広島復興大博覧会が行われ、


現在は言わずと知れた100万人都市。

大槌の夫婦は、その広島の経緯を見て、


「広島の人達は凄いですね、このゼロの状態からここまで復興させたんですね、俺達も負けないように頑張ります!!」


と言ったんだとか、そして、OKI さんは、その言葉が欲しくて広島を案内したんだとか。

お互い、実際に見たからこそ思う事なんでしょうね。

素晴らしい。



親愛なる者

以前、僕がビーツで叩いていた頃、

1995年11月2日にお亡くなりになったOKI 兄弟のお父さんを想う曲。

最近は11月だけに演奏しているんだそうです。


秋の広島でのライブは、毎年12月が恒例らしいのですが、

今年は様々な事情が重なり、たまたま広島でのライブが11月5日に、

そして2011年11月は節目である17回忌。

久々に広島にて ”親愛なる者” の演奏。

何かが繋がっているような素敵な感覚でした。


そう言えば、2001/6/29 当時とあるサイトで毎週コラムを書いておりまして、

このサイトにも転用しているんですが、

この週のお題「神の領域」で”親愛なる者”に触れております。

コラム「神の領域」2001/6/29



ライブ後半

後半は激しい曲が続き、そして ”瓦礫の町で” ”BRAVE FIST”

共に被災した東北の町を何度も訪ねたOKI さんの言葉による曲。

素晴らしく一体感のあるライブでした!!



打ち上げ

大槌の夫婦と!!新聞の載ってた人だよぉ!!



そして、その夫婦をを驚かそうと、大槌から、なんと車で2日間かけやって来た夫婦!!(左)

ややこしい??要するに大槌より2組の夫婦!!

なんで車で???むしろ飛行機や新幹線の方が交通費安いのでは??

その理由はドライブが好きだから!!好き過ぎる!!熱すぎる!!友達思いすぎる!!



真ん中の方は、、、



ゼロファイター

(写真は桜カラー、ブラックもあります)

名古屋の友人のゼロファイターというブランドの武田さんから頂いた、

東北チャリティーラバーバンドをOKI さんが付けていた事が発端となり、

彼女が是非復興に役立てて欲しいと200本買い、、、ビーツのライブに持って来てくれ、

それがOKI さん経由にて大槌で配られ、

皆の話によると、高校生も含め、もはやゼロファイターラバーバンドが流行りなんだとか、、、

なんか、色々凄いなぁ〜



繋がり



復興の象徴である広島での打ち上げに、岩手県大槌のお客さんがいる、

新聞で取り上げられている、

共に名古屋のチャリティーラバーバンドをしている、

たまたま行っていた神社は復興の象徴だった、

17回忌に広島にて、親愛なる者を演奏した、


OKI さんの言葉で「心は寄り添い、繋がっている」とありますが、、、

まさに、繋がりを感じた1日なのでした。



そして思う

この日広島の人からも、他でもよく聞くフレーズ、

「みんな凄いですね、自分は震災に対して、何をしたらいいかわからない」

募金をしているにも関わらずです。


実は、僕も思っているんですよ。

なんだかんだ、自分は、ただライブをしているだけではないか、、、

自分の時間を割いてまで、実際に何かしているだろうか?


でも、ふと思ったんですよね、例えばライブならば、

支援している人を、ドラムという形で応援出来る。

こうして話題にする事で、少しは風化しないように出来る。


実は、先日、越路姉妹で物資を送っていた方が一人病気で亡くなられたのですが、

そこへ、越路&越路と石巻へ行った方より、お気持ちを送りまして、

先ほど涙ながらに「皆様ありがとうございました」と、そのお礼を頂きまして、

そして、今こうして伝える事が出来る。


直接現地で作業をするなどの支援は出来なけれども、俺なり出来る事はあるな、と。


俺も、皆さんも、自分なりでいいと思うんですよね、

まずは普通に生活し、経済を回す自体が復興に繋がるわけだし、

そして、忘れない、今も復興は続いていると思う、

それでいいだと思います。


そんな繋がりを感じられた素晴らしい1日でした。



そして繋がる

そして、翌朝、

USJライブの売り上げ全てを義援金にしてしまったという

ベッキー♪♯さんの岡山でのライブに向かったのでした!!



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