5月11日(水) 越路姉妹 仙台へ 伝える6 <仙台港→ライブ→石巻の話 5/1>」

10:00 仙台港へ

仙台の街を抜け仙台港フェリー乗り場へ

その昔、函館→仙台フェリーで利用した事があるので、若干思い出の場所でもある。


一見何事もなかったかのような仙台市街。

がしかし、、、
港に近づき、1本の道を境に、、、
街の様相は激変する。



まさか仙台もこんなになっているとは思わなかった。


石巻と違うのは、スペースがあるため、
被災した車が車種別に整理整頓されている。

被災したトラックばかり、バスばかり、重機ばかり、数十台。

乗用車ばかりは100台を超えていたか。

だだっ広い、高い場所もない埋立地、、、皆、どこへ逃げたのだろう?

そして、そのすぐ近くでは大量の中古車が売られていた。

光と影。

そして、やはり自衛隊の皆様が沢山いる。

女性自衛隊員も案外いる。

日本にはこんなにも自衛隊がいたのかと感心する。

感謝。



仙台市街

仙台の街中に戻ると、震災があった事を忘れる。



という事で普段通りな日記へ

街を散策し、
仙台ではあったが、
心身共に疲労感があったからか、
肉を消化する気分でもなく、
牛タン店には入らず、、、レストランへ。

失敗。

素直に牛タンの利久に行けばよかった(苦笑)



ひつじ・さる年生まれの守り本尊 柳町大日如来



何故にその名なのか?この日ライブをするラブミー牧場、
その周りを散策していると、申と羊の神社を見つける。
申年、更には牡羊座の俺としては、なんだか更なる親近感を感じる。


狛犬ならぬ、申と羊。
  


そして俺好みのユニークな神社。
素敵な参道!!


かと思いきや、絵!


何故!!??

水道!?


御守りは近くのタゼンで?


ならば行ってみる。
  

400年!?戦国時代から!?


関係ないけど、くっつき過ぎじゃねぇ!!??


お守り買えなかったな。

そうこうしているうちに、開場時間へ



ライブ!! 仙台ラブミー牧場



スタッフチームは本当の牧場でライブをすると、越路なら有り得る、、、と思っていたらしい(笑)


さて越路姉妹、仙台初ライヴにして、ワンマン!!

小さい店とは言うものの、どうなるか?

おっ!お客さんが並んでる!!


なんと満員。
 

どうして?(笑)


ライブは二部制。

いつものように盛り上がる!!

石巻程の号泣ライヴにはならないものの、
やはり大いに感情が高まる。。。

そして、途中、、、

ラブミー牧場営業部長大野君にステージに上がってもらい、、、壮絶な体験談を聞く。



営業部長 大野君

写真右上が大野君。

大野君は震災時、たまたま石巻に営業に行っていたらしい。

彼が震災直後に避難したビルには、近所の人々100人程がいた。

その多くは高齢者。


そこは何故か1.5m程の水が引かず、100人は孤立状態。

直線上目視出来る位置に市役所があったため、
”SOS” と書いた紙を見せ、市役所側からも了解の合図をもらったものの、
市役所も被災していたからか?助けは無し。

夜は寒くて寝るどころではなく、立って動き続け、昼に2、3時間の睡眠。

なんとそのまま3泊4日したんだとか。。。


お菓子屋さんが店のお菓子を持って来ていたため、
みんなでお菓子を、、、、一人一日一個ずつ食べていたと。

それも、3日目には底をつく。


そこは病院も近かったため、、、

心臓にパイプが付いた人一人。

人工透析を受けていた人一人。

そしてなんと、3月17日出産予定の妊婦さんが居たんだとか。


皆のストレスが高まった頃、
たまたま一人だけいた石巻市議会議員が、

「役人なのに、なんでなんにもしないんだ!?」

とみんなから責め立てられていたと。


その時、彼を中心に30歳代の体力ある男達が立ち上がり、

責めていても始まらないという事で、、、

雪まじりの極寒の中、、、

肩まで水に入り、、、

食料を求め、市役所まで行ったんだと。


水とはいえガソリン混じりでドロドロ。

そして市役所に着いたがしかし、、、

皆へ持ち帰る食料は無く・・・

自衛隊もまだ来ていなかったんだとか・・・

なので、病人&妊婦が居る事を伝え、
彼はその後どうしたかと言うと、、、

なんと!!!

再びドロドロの水に入り、、、

コンビニがあるはずの所に行き、、、

浮いている食料をかき集め、、、

戻ったんだと。


貴方が、石巻の正義の味方、009ですか?


いやぁ、仮面ライダーですか?


本当は自衛隊ですか?

その正体は、、営業部長大野君。



極寒の中、
濡れた体をふくすべも、
暖をとるすべもなかったかと、、、

下手したら死んでしまうよ。


その後、自衛隊のヘリがやって来て、取り急ぎ3人のみ救助。

皆は更に一晩を過ごし、、、

翌日からようやく水も引き始め、
自衛隊のボートもやって来て、、避難所に向かったんだとか。


今でこそ石巻という地名をよく聞きますが
最初の数日は全く放置されていたんですな。

確かに震災直後、気になってニュース見てたんですが、
石巻は全く触れられていなかった。

なので、俺は、電話は繋がらないものの、
勝手に、石巻は、湾状の地形によって、無事だったと思っていたんですよ。


しかし、そうではなく、誰も行ってないので情報が無かったらしいです。。。

海沿いである東松島の自衛隊も被災していたからね。


そして大野君のお母さんも、彼の事を諦めていたそうです。。。


よくぞ生きていてくれた。

いやぁ生きていてどころか、、、命がけで皆の命を救った男。

凄すぎます。


その後アンコールで大いに盛り上がり
体験談の聞けた貴重なライヴが終了!



語らい



その後軽く語らい。

石巻でもそうでしたが、
みんな被災した実家の写真を見せてくれるんですよね。

そして行ってみて気付いたんですが、
仙台は被災地というよりも、、、
関東から行った俺らと同じく、、被災地を応援している側な感覚なんですよ。

とはいえ数日前に地下鉄が動いたばかり、
新幹線も再開2日目であり、
海沿いは大変な被害にあっており、
なんなら東京より原発に近い。

がしかし、
何か自分に出来る事はないだろうか?
同じ県民なのになかなか協力出来ずに悔しい。
とまで言っていました。



プリウス田中君。



今回のベースは岐阜同様、ヘルプで来てくれた友人の田中君。

ヘルプで来てくれたのに、、、車プリウスを出してくれた。
しかも行きは全て運転。

1Lで25キロ以上、俺の車の4倍走る!
差額のガス代だけでも1万円以上、1000キロドライブなんで、車も少なからず消耗するわけなんですが、
「貴重な体験をさせてもらって有難う!」と、、、レンタカー代を受け取ってくれないんですよ。

そしてベースが凄く上手い。

素晴らしき友人なのでした。



打ち上げ

ゲスト出演してくれた”そらぽっくり”さんと共に。

投げ銭ライヴという事もあったからか?ラブミー牧場さんの奢りで夕食!!

(皆様と記念写真)


ラブミー牧場の皆さんと!!


素晴らしいお店でした!!



23:30 家路へ

越路よう子&和子を残し、そのまま夜走りで家路へ

よう子&和子は、、、
翌日、南相馬、そして20キロギリギリの所まで行き、奉仕活動を。

本当に素晴らしいです。
詳しくはよう子の日記



今回の旅を終え わかった事

想像を超えた凄まじい旅でした。

想像を超えた素晴らしい旅でした。

この短期間でここまで人の優しさと力を感じた事は初めてです。

同時に、ここまでの哀しみを感じた事も初めてでした。


帰りは渋滞もなく順調で、帰宅までの約5時間、
車内では田中君やスタッフチームとずっと明るく楽しくおしゃべりして帰りました。


05:00 帰宅し風呂に入りました。

一人になった瞬間に突然涙が止まらなくなりました。

その後3日間位、やはり一人になると突然涙が出てくる現象が起きました。

聞けばみんな同じでした。


わかった事があります。


TVでよく言われてます 「それでも東北の人は元気です!!」

実際会っても感じました、、、それでも東北の人は元気です。

僕らも帰りの車内や部屋飲みでは元気でした。

しかし皆、、、東北の人でもないのに、、、一人になると突然涙が出る。

トイレに行く度に涙が出るので、無理矢理、明るい事を考えました。

これが実際に大切なものを失った本人達だったら、、、その哀しみは想像すら出来ません。

「元気です」 という言葉を丸々受け取るには無理があります。


”元気にしていないと生きていけない”  そんな感じなのかもしれません。


実際東京に住む南三陸出身の元気にしている友人に、

「石巻に行って来たよ」と軽く話しただけで彼は涙ぐんでました。



役目

そして、そんな東北の人々に、

越路姉妹は本当に、何か出来るのだろうか? 出来たのだろうか?

と思っていたのですが、、、

石巻のみんなが、、、「久しぶり!」 と越路姉妹を通して、友との再会を喜んでいた。

石巻の友人から”一生忘れない思い出が出来ました、ありがとうございます” とメールを貰った。

そして仙台では、こんな走り書きをもらいました。




越路姉妹ならではの出来る事がある、と確信めいたものが見えて来ました!

近いうちに必ず再び石巻へ行きます!

東北の人は元気です!


完。


と思いきや、、、横浜に繋がります。


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