5月7日(土) 越路姉妹 石巻へ 伝える5 <打ち上げ 4/30>」

魚民



漫画の街らしい、小さな小さなかわいい石巻駅。

その駅前にある、居酒屋 魚民が、27日からオープンしたらしい。
1Fは完全に水没したはずにも関わらず、調理出来るまでになっているとは、凄い。



駅のすぐ横には沢山の自衛隊車両がおり、支援物資を配布をしているのだが、
その横では、こうして居酒屋が営業しているというのが、実に不思議な光景。

そして、みんなが集まれる場所が出来たというのは素晴らしい。

現在、駅周辺で唯一の街の灯りなのではないだろうか?

ボランティアの人々も皆ここで飲み食いすれば、地元への貢献に繋がるかと、
チェーン店とはいえ、従業員は地元の人。


1Fはまだ使えなかったのかもしれない、2Fの座敷へ

今回の打ち上げの人数は、急遽決まったにも関わらず、
東京組のお客さんも誘って、なんだかんだで30人!!座敷は満員!!

ちなみに、隣の座敷も満員!!
聞けば、地元の人ではなく、支援にきている、なにかしらの団体。

今思えば、メニューは充実していたのか気になるが、
男・3500円 女・3000円のコースだった故、メニューを見ていないので未確認。
いずれにせよ、充分過ぎる料理の量。


あまりに店内が普通な光景のため、、、
店に入るやいなや、先にお会計で、計算で頭を使っていたため、、、、

一歩外に出れば、瓦礫の山がある事をすっかり忘れた。
石巻チームの半分は、家も職も失っている事をすっかり忘れた。

義援金やら物資やら持って来ておいて、、、東京チームは奢るでもなく、普通に会計してしまった。

酒の一杯でも奢る位のアイデアが出なかった事が悔やまれる。

その位に、居酒屋内が、見慣れた光景、雰囲気だった。。。魚民凄い。。。



打ち上げ スタート

越路よう子の挨拶から、、いい事言ってた。



ラストラーダの相澤さんと。



普通にみんなで呑み。


イカン!!
あまりに普通で、普通に知っている人とばかり呑んでいるではないか!?

これでは、せっかく来た石巻で飲んでいる意味がない。。。

途中、強引にシャフルした。

東京組と石巻組が混ざるように。


そして、様々な話を聞いた。

きっと、東京組のみんなも、聞けたんではないだろうか?



語らい



そしてその話は、やはり壮絶でした。。。。

今思い出せる範囲で書きます(本当はもっとありました)



「話・1」

運転中に地震、避難渋滞・・・
あっという間に津波にのまれて、車から逃げようと思ったら、、、
水圧でドアは開かず…
エンジンは止まり、パワーウィンドウの窓ガラスは開かず…
車内は浸水・・・
その時、後ろから何かがぶつかって来て、、、
後ろの窓ガラスが割れたので、、、、そこから水中に逃げられ、、、
流れて来た木につかまり、、、
その後屋根につかまり、、、
水が引くまで数時間待ってたんです。
寒かったです。



「話・2」

中に人が入ったまま、流れて行く車を何台も見ました。
水でエンジンが止まると、パワーウィンドウが開かないんです。



「話・3」

会社がなくなりました・・・
家も流されて、嫁さんの実家にお世話になってます。

嫁の会社は大丈夫でしたが、男として毎日家にいるのも辛いので、、、
瓦礫撤去の手伝いで、1000円でも2000円でももらえる場所があれば行ってます。
今後の見通しは全くありません。



「話・4」

俺・「素朴な疑問ですが、ライブハウス・ラストラーダ(入口に船が刺さっていて入れない)の家賃とかってどうなるんですか?」

相澤さん・「普通に払ってるよ」



「話・5」

義援金とか、あれは誰に入るんだろうね。



「話・6」

妹の家族は、、、
旦那と、小学生の子供2人も、、、流されてしまい、、、妹一人になってしまいました・・・

甥っ子とはよく遊んでたんで辛いです・・・
妹は、毎日自分を責めてて・・・
時間ある時は公園とか連れて行ってますが、、、

その公園とて。



「話・7」

支援太りしました。。。仕事をしてないのに、食べ物はいくらでも貰えるんで、、、、



「話・8」

○○○○が来ていた時は(大物芸能人軍団)、、、
メディアで報道されていたため、、、
県外から多くの見物客が来て、
その間、町は渋滞・・・自衛隊の復興作業も滞ってしまいました。

ホント迷惑でした。。。

それに比べて○○さん(とある芸能人)はホントにお忍びで来てくれてました。
帰った後に報道されるべきだと思います。



「話・9」

車って簡単に浮くんです



「話・10」

流されないように掴まっていた時、
横を流れていた老夫婦が乗る車は、
窓ガラスが少しだけ開いているけど、そこから脱出する事も出来ず、
パワーウィンドウの窓ガラスは動かず、
マグカップで、、浸水して来た水を、、、窓の隙間から汲み出していしました。

あの夫婦は助からなかったと思います。



「話・11」

米軍は、、、
ぐちゃぐちゃになった小学校の体育館をあっという間にピカピカにして、
4月に入り、遅れて行われた終業式に、、、

1年生から6年生の一人一人に、、、
たくさんの物資をいっぱい詰め込んだ、、、大きなリュックサックを渡したんですよ。

米軍も凄いですよ。



「話・12」

こうしてみんなで酒呑むのは、、、酒を飲むこと自体、、、震災以来初めてですよ。
嬉しいです。



「話13」

僕の車はパワーウィンドウじゃなかったんで、
エンジンが止まっても窓が開き、水中に脱出出来ました。

電柱より細いポールに捕まって、だいたい水の中に40分ぐらい居ました。
寒くて体の感覚がなくなりましたが、生きようと頑張りました。

水が引いてから、近くで一晩避難して、次の日に避難所に行きました。


僕はまだいい方だと思います。
それ以上に辛い目にあった人がたくさんいると思います。
だから、今はまだ辛いですけど、命あるだけでも助かってます!
今は頑張って生きて行く気持ちでやって行きたいと思います!



これらの話を涙なく聞くのは難しい。



感想

よく、よく、生きてたね!!

越路よう子がMCで何度も言った
「生きててくれてあろがとう!!」

まさに、その通り。。。生きててくれてありがとう。



ありがとう

話は尽きず。
そして話をした全員に言われるんですよ


「ライヴに来てくれてありがとうございました」と


いやぁいやぁ、そもそも決まっていた日程を決行したわけで

それに伴い、、、
石巻の皆さんが会場を見つけてくれ、
口コミでお客さんを集めてくれたわけなんで、
こちらこそ ”ありがとう” なんですよ。


思えば前回の石巻ライヴなんか、
越路姉妹のスケジュールと、ラストラーダの空き日のスケジュールが合わなかったのでお断りしたら、、、

三浦君が 「越路姉妹の来れる日に会場を作りますので来て下さい」 と

そこまで言ってくれるのなら行きましょう!と


そして当日、早めに到着したら

ただの空間であるレンタルホールに
床から、ステージから、照明から、音響から、電源から、バースペースから、全てを自分達で設営してて、


手伝おうとしたら

「適当に飲んでて下さい、出来たら連絡するんで」

みたいな、、、

ほんと、こちらこそ、、、ありがとうなんですよ。



23:00 閉店

みんなが 「次行きますか!?」

えっ!?

「今連絡したらバー開けてくれるみたいなんで」

えっ!?

”次行きますか!?”なんてセリフ、震災以来初めてだったろうな


折角なので行きたい、、、

がしかし、、、ホテルまでは車で1時間以上。

運転の関係で飲んでない人もいるし、、、

ここは帰る事に。。。


外に出ると、、、その暗さに、現実に引き戻される。



別れ際、また 「ありがとうございました!」


1日のうちで、こんなにも ”ありがとう” と言われたのは初めてです。


石巻の優しさと、哀しみと、明るさを体感した夜なのでした。

また必ず行かせてもらいます!!



仙台 へ続く。


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