5月5日(木) 越路姉妹 石巻へ 伝える4 <石巻グランドホテルライブ!! 4/30>」


 

前置き

今回の石巻ライヴにあたり、お客さんより次のような声があがっていた。

「行きたいけれど迷惑になるといけないので行かない方がいいですよね?」

気持ちはよくわかる。。。
恐らく正論であるかもしれない、、、が、わからない。

そしてその答えを俺が出すのはおこがましい。


後日、越路姉妹の生放送ユーストにて、
すでに南相馬と石巻に物資を運んでいた越路よう子に、
打ち合わせ無しに聞いてみた。

行きたいが悩んでいるお客さんがいる。
みんなの気持ちを代弁して、いやぁ俺自身の気持ちも込みでの質問。


「自分は偽善者ではないか?という疑念晴れぬまま行っていいのか?」

「自分は単に被災地が見たいだけでは?という疑念晴れぬまま行っていいのか?」


越路よう子の答えは、、、YES。行っていい。

理由は、、、今何が起こっているかを見て伝える事が大事であり、行く事自体が支援に繋がるから。


俺が思うに2つの限定ポイントがあると思う。

越路姉妹は有名なわけではないので、越路目的で石巻に行くお客さんは、、、恐らく10人程度かと。
なので渋滞への影響はないかと。

その10人程度は恐らくすでに越路の3度に渡るチャリティーライヴにて多くの義援金、物資を提供しており、
単にライブを見たいだけ、という次元を超えている。

以上2点込みで、俺も「行っていいとと思う」と発言しました。



ライヴにあたり

震災以降、石巻で初のバンドライヴなんだとか!!


震災後、間もない頃に越路よう子が俺に言った。

「来月の石巻ライヴは、意味合いが変わってくるね」

俺は思った、、、出来るわけがない、彼は事の大きさに気づいていない・・・

がしかし、、、こうしてワンマンライヴ。

やるな。



リハーサル

当初の予定にはなかった、東京より手伝いに来てくれた音響さんチーム ”エヌ アンド エヌ” さんが、
音響機材をセッティングしてくれた。

彼らがいなかったら、自分達でセッティング出来たのだろうか?

出来たとて、開場が30分以上は押していただろうな、、、感謝。



14:50 開場

さてお客さんは来るのか?

何度か石巻に行っているとはいえ、ワンマンは初。

当然のように無料ライヴ、チケットもチラシも何もない、口コミ頼り!!

要するに、全く読めない。

すると、続々と人々が集まって来た。

ミラクルである。

ラストラーダの相澤さん&友人の石巻バンドマンが相当広めてくれたのかと、、、感謝。



物資

そして、メンバーがリハーサルをしている間に、
越路お手伝いチームの皆さんが、4/15に集まった物資を丁寧に並べてくれた。

こんなに量があったとは、、、お手伝いチームがいなければ、絶対に成り立っていなかったな、、、感謝。
 


石巻の皆さんがフリーマーケットに来たかのように楽しんでくれている風景が嬉しかった!!
  


悩んだが、振る舞い酒もした。
 



14:30 ライブ



東京組10人位を含め、7、80人は居ただろうか?いよいよライヴスタート!!

最前には、年配の方から子供まで、

普段の越路と変わらぬ盛り上がり!!いい感じ!!


途中、様々な客層を意識し、、、”北国の春” ”ふるさと” の2曲を


その後のMC、

越路よう子は全く喋れない程に言葉に詰まらせる。。。

会場は静まりかえる。。。

石巻のお客さんより、、、「ようこ〜!!」 と越路よう子への声援が飛び交い始める。。。

みんな泣いていた。。。


なんとか取り戻しライヴ再開!!

いつものように盛り上がる!!


更に盛り上がる!!


最前列の小学生の女の子が楽しそうに踊っているのがたまらない。



義援金



途中、石巻のライブハウス、ラストラーダ店主である相澤さんにステージに上がってもらう。

今まで集まった義援金¥203,475 の内、
3/17の横浜で集り日本赤十字社へ収めた¥35,126 以外の全て ¥168,349 を相澤さんへ。

超ピンポイント支援である。

いつの日か、ラストラーダが復興してくれ、ライブが増えれば、
それは石巻の復興を応援する事になるのではないだろうか?



アンコール

そしてラストは ”上をに向いて歩こう” 清志郎バージョン。

楽しい歌なのに、、、多くの人が泣いていた。

この街には、多くの、思い、念が渦巻いており、いい意味で、共にいる気がする。

そして、ここにいる皆さんの大半が、何かしらを失っている。。。


とんでもない時間であった。。。


ライブ前に、日和山公園より、石巻の街を見た、、、という事が、ライブへ大きな影響を与えていたと思う。

石巻で何かしらの活動をするのであらば、まずは現状を直視してこそ、心のこもった表現が出来ると思う。


一生忘れる事はないであろう時間であった。



ライブ後

語らいの場を作った。



物資を支援した東京組に、物資を受け取った石巻のお母さん達を紹介した。



今ここに思いが繋がった。

みんな泣いていた。

東北関東大震災救援プロジェクト 越路 BAND MAN AID(KBMA)の意味が出来始めた。



想定外の効果

予想外の言葉を耳にした。。。

お客さん同士が、、、

「お〜生きていたか!!」

「久しぶり!!」

なんと、、、震災以来、この場を通じて、、、始めて会った人々が沢山いたのだ。。。



「震災以来、みんなが集まる機会がなくなってたんですが、
  
   越路さんのお陰で、こうしてみんなに会えました、ありがとうございます」 と。。。


 

 



石巻を訪れる多くは、避難所など、すでに人の集まっている所に行くが、、、

我々は、誰もいない所でライブをした事により、バラバラになっていた人々を集めたのだ。。。

これこそが想定外であり、一番の意味であったのかもしれない。


今、石巻でライブをした事は、間違ってなかったと思う。。。よかった。


突然、市の方から、寸志を頂いた。




哀しみ

石巻の西川君が、

「ひょっこり佐々木が現れてくれないかと思ったんですがね・・・」

佐々木君は、行方不明である、ウッドベースプレイヤーである、石巻バンドマン。

みんなで毎日探し、彼の車と財布は見つかったんだとか。


ライブ後、グランドホテル前の写真を撮ったら、通常では考えにくい影が映っていたんですよ。
佐々木君の”思い”だったかもしれないな。

佐々木君との思いでは、昨年の9月2日の日記に。。。



意外な提案

そして、石巻のみんなから意外な事を言われた。

「みなさん帰っちゃうんですか? 打ち上げしませんか?」

えっ!!??どこで!!??


なんと、、、救援物資配布をしている駅前、
その駅前で、居酒屋 魚民が、この日の3日前より営業を始めていたのだぁ!!!


皆で明るく居酒屋へ!!

みんな震災に負けずに元気だぁ!!


が、その元気の裏には、とんでもい、想像以上の影を知る事となった。





打ち上げ へ続く。


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