5月3日(火) 越路姉妹 石巻へ 伝える2 <東松島 三浦家 4/29>」

動機

どうせ石巻でライヴをやるのなら支援物資も持って行きたい。

がしかしすでに避難所では物資が余っているとの噂も。。。

そんな中、
越路姉妹を石巻に呼んでくれた、
毎年家にサンマ20匹を送ってくれる三浦君宅には、
家を流された親族10人が暮らしており、
毎日同じ服を来ていると。。。

ならば顔の見える方へピンポイント支援。

4/15のライブにて、お客さんから預かった服

そして俺のロックな服、
スタッフチームも自分の私物や新品の靴下を抱え、三浦家へ!!



4/15は物資が集まり過ぎたので、一部事前に郵送、
すると、それらを着ている写真が送られて来て、テンションが上がる!!
  



20:00 夕食会

栄養士&野菜ソムリエの片夫妻プロデュース料理。

現地ではガス&水道以外は何も借りず。
全て、片夫妻が家で仕込みをし、持ち込み材料、機材、食器にて、
三浦家台所で準備&調理。

メチャクチャ美味い!


パスタ、にしんの南蛮漬け、こだわりのお漬物、トマト、、、などなど
そこに居るすべての年齢層に配慮を感じる、長時間ドライブにも耐える料理。

三浦家の方々も
「震災後初めての温かいスパゲティ」と

そしてこだわりのトマトが凄かった。。。
こだわりの産地より取り寄せたというトマト、、、幾らしたのだろう???
俺はこんなにも美味いトマトを今まで一度も食べた事ありません。
気分の問題ではありません、実際にです。


片夫妻による料理説明


がしかし三浦家の方々は全く聞いてない(笑)
何故なら一目散に食べているから。

それほど美味しかったという事かと。。。

愛を感じる料理。
最高でした。



語らい

TVだったかな?で聞いた、どこぞのカウセラーの言う、被災地でのエチケット

”コチラから震災の話は振らない”

という事で、、、たわいもない話。。。


ウソくさい時間。


そんなエチケット誰が考えたんだ!!??

自分に辛い事や大変な事が起きた時、
いやぁ、関東に居れど、3/11の話、
誰かに話したくないか?

話すと思い出して辛くなるのか?
話さなくったって忘れるわけではない・・・


安易な綺麗事エチケット。

勿論、相手が子供の場合を除く事は言うまでもない。


いっそ思い切って震災の話を切り出す。


すると、せきを切ったように、皆さん一斉に話だす。


聞けば、、、
自ら「○○大変だったんだよ〜」と暗い話を切り出しにくが、聞かれれば話したい。。。との事。


そしてその話は壮絶だった。。。。

今思い出せる範囲で書きます(本当はもっとありました)



「話・1」

石巻、女川町は一週間位、情報無しの放置状態でした。
(確かにTVにて震災後しばらくは石巻の話は全く出て来なかった)

停電で情報がないので、自分達の所が一番ヒドイと思っていました。
被害の範囲が広く、もっとヒドイ所があると知ってビックリしました。



「話・2」

一人で家に居たら、家の中に水が侵入して来て、
家の中で揉みくちゃにされ、
気が付いた時は、家ごと100m流されてました。

顔面&肋骨6本骨折してました。
引き潮には流されず助かりました。。。



「話・3」

この子は小学校に居たから助かったんです、、、
お母さんが迎えに来た児童は、皆帰り道に流されてしまいました。。。



「話・4」

病院4Fから下を見たら、
2F建てのビルの屋上に数十人が避難してて、
そこへ波が被さり、、、
とっさに何かに掴まった若い女性以外、、、全員消えてしまいました。。。



「話・5」

仮設住宅がまた外れました



「話・5」

お父さん(旦那さん)の遺灰をリュックに入れ、背負って逃げたんです



「話・6」

津波が去った後は、
あの津波のなんとかという映画のラストシーンそのものでした・・・何もなかったです。。。



「話・7」

自衛隊は凄いですよ 〜諸々〜
あっという間に道を作ってくれました。
お風呂を、暖を作っても、決して自分達が利用する事はないです。
あれは日本のほこりです。



「話・8」

米軍も凄いです。
(詳細は忘れてしまったんですが、報道されてない地道な支援をしてくれているようです)
ボランティアの皆さんにも助けられてます。



「話・9」

自分の家を自分で直しました。
床をはがしてヘドロを落とし、畳の張替えしました。

畳はどうしたのか?

震災前に、偶然、、、古い畳1万枚と共に倉庫を買った人がいて、
その方が、最初は1枚千円で売ろうと思ったけど、やはり無料提供し、
その時で、すでに6千枚がはけたようです。



「話・10」

4月9日の余震の方が揺れました
柱にぶつかり、足がパンパンに腫れました。

その後、非難のために車で高台へ向かったら、道は高台に向かう車で渋滞、
皆パニック状態で、めちゃくちゃに走ってました。

しばらくして、まだ津波警報解除の放送が流れないのに、
マコト(三浦君)が 「山を下りよう」 と言うので、「なんで?」 と聞いたら、
「牟田さんから、”津波の恐れはなくなりました、とテレビでやっているよ”」 とメールが来たから。と

確かに、外で情報がないだろうからとメールした。



「話・11」

この子は、海から津波が来るところを、
そして校庭に達した海水が全てを巻き込み渦巻き状になるところを実際に見ているんです。



そして

自分達で写した震災被害の映像を見せてくれ、
その後、ニュースの震災映像をまとめたものも見せてくれたんですよ。

という事は、関東でも、日々震災のニュースをやっていた、とは思っていないという事でもあります。


そして、

関東より原発に近いんですが、原発の話は一切出なく、気にも止めていないようでした。



話は尽きず、
全て聞くには時間が足りず。。。


安易なエチケットに意味はなく
聞く事の大切さを感じた夜なのでした。



サプライズ



そんな中、、、
俺の誕生日を祝ってくれるとは(涙)

俺は4月12日、三浦君は4月19日、
俺より、この日に誕生日近いじゃん!!

にも関わらず、、、ありがとう!!!!!


という事で、4月生まれ全員で!!4人もいた!!


ありがとうございます。。。


俺からはロックグッズ、
そしてリクエスト通りの、ベッキーサイン&メッセージ入りTシャツを




お客さんから預かった物資を皆さんへ




「今まで毎日同じ服で会社に行っていたけど、これで毎日違う服を着ていけるわっ!!」と




皆さん、本当に喜んでくれていました。


 頭を床につけて  「ありがとうございます」 と言われました。。。


素敵な夜なのでした。




写真に写っている全ての皆さん、越路ライブで支援物資を持って来てくれた皆さん、協力してくれた皆さん

本当に有難う!!



作並温泉

仙台市内のホテルは全て満室のため
温泉街に泊まったのでした。



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