我が家のお雑煮?
我が家のお雑煮がどんなものだったのか憶えていない。
正月になるとよくお雑煮を食べ、おいしかったのは憶えている。
しかし、それがどんな味だったのか?
正確に言うならば、その味に不変性があったのかを憶えていない。
おそらく不変性、こだわりは無かったのではないかと思われる。
というよりも、お雑煮自体に各家庭の不変性な味があるという事を、
僕はこれまで知らなかった。
このコラムを書くにあたり、お雑煮について数人に聞いたところ、
皆、そのこだわりの味について語りだした。
それを聞いて初めて、
お雑煮には各家庭のこだわりがある、という事を知ったくらいある。
しかもそのこだわりは僕の想像以上だった。
皆、口をあわせて「お雑煮は美味い」と言う。
ならば「いろんな種類のお雑煮を出す店があったらどうだろう?」
と話したところ、ひとりが「それは、はやらない」と言う。
なぜかと聞くと、「自分の家以外のお雑煮には興味が無いから」と言っていた。
彼の意見がお雑煮に対する意見の平均値かどうかはわからないが、
少なくとも僕よりは平均的だと思われる。
そもそも僕は、味だけにとどまらず、
何かに"こだわる"という考えが、人より少ないようだ。
例えば、味に関しても、
北九州にはほぼ、とんこつラーメンしか無いのが信じられない。
しかも福岡のとある人に言わせれば、
ちょっとでも違うテイストが入った店は許せないそうだ。
王道でなければ、とんこつラーメンとは言えないらしい。
僕には理解出来ない、
何故飽きないのだろうか?と思ってしまう。
以前、「家系ラーメンが好きだ」と書いたが、
こんな事いったら怒られそうだが、
スイマセン、もう食べ過ぎて飽きてしまいました・・・
今は、味噌や塩がおいしいと言われる店に惹かれています・・・
しばらくしたら、また食べてみようかと・・・
と言った具合である。
僕には絶対、その店の味を守る飲食店は出来ない。
何故なら飽きてしまうからである。
音楽に関してもそうだ。
ひとつのジャンルやスタイルにこだわり続けるという事が出来ない。
ひとつの場所だけに、こだわり、とどまる事が出来ないのだ。
どうしても自分が自分でなくなってしまう。
生き方として、こだわりを強く持っていたり、
何かひとつの事をやり続ける人の方が、カッコイイとは思う。
そして理解、認知されやすいと思う。
ミュージシャン、芸術関係の仕事に向いていると思う。
という事は、こだわる事があまり好きでは無い僕が、
音楽をやるのはどうなんだろう?とも思う。
やるからには、もっとこだわりを持った方がいいのではないか?とも思う。
しかし仕方がない。
こだわる事があまり好きではないのだから。
無理にこだわったとしても、それはおそらくバレる。
バレるくらいならしない方がいい。
小学校の頃、何色が好きだ、という話題が盛り上がり、
そんなの気分によって変わるのだが、
無理やり、好きな人がひとりもいなかったという理由で
"みどり"という事にした。
「変わっているなぁ〜」と言われうれしかった。
が、翌日、真っ赤な服を着ていって、その偽りのこだわりはバレた。
まぁ、とは言っても、なんにもこだわりが無いわけではない。
例えば、とんこつラーメンには一時的に飽きても、ラーメン自体に飽きる事はない。
ひとつの音楽スタイルに飽きても、ドラム自体に飽きる事はない。
そしてドラムセットはシンプルイズベストの考え方も変わらない。
大まかなこだわりはある。
しかし、やはり繊細なこだわりだったり、
もしくは「俺の認めるロック以外は音楽じゃねぇ〜」的なこだわりは僕には無い。
我が家のお雑煮にはおそらくこだわりが無かった。
要するに僕の母親は、あまり何かにこだわらない人なのだろう。
これは遺伝だ。
遺伝ならば、仕方がない。
しかし僕は今大きな発見をした。
僕にも、大きなこだわりがあった。
案外これはいいこだわりかもしれない。
我が家のお雑煮的こだわりだ。
それは・・・
こだわらない事。