タラレバ

 

先週の寺岡呼人さんのイベントはなんて楽しかったのだろう。

”演奏するって本当に楽しいんだ”

という、音楽をやっていれば、当たり前のはずなのに、

へたをすると忘れてしまいそうな感情を、あらためて感じた。


いろんな素晴らしいミュージシャンとプレイ出来るのが、

楽しかったし、すごく勉強になった。


先週月曜から金曜までスタジオにみっちり入り、

30曲分のリハーサルをして土日で本番。


自分で言うのもなんだが、いろいろな方々とプレーする事によって、

この1週間で自分自身成長させてもらった気がする。


いろんな人の考え方を聞くのもすごく勉強になったし。

それはそうだ、とんでもない大御所に一度に出会ったのだから。


上田正樹のいた伝説のブルースバンド「サウストゥーサウス」で

16歳にしてデビューしている、大御所キーボードの中西さん、

そしてムッシュかまやつさん、憂歌団の木村さんという、

まさか同じスタジオに入る事など一生ないだろうと思っていた

超大御所とスタジオに入ったのだから。


もちろん堂島公平さん、グルーバーズの藤井さん、かの香織さんも、

そしてバンドメンバーの藤井君や田中君もすごいよかったし。


様々なスタイルの音楽を短時間で自分なりにプレーするという作業を、

素晴らしい人達とやる事によって、自分のスタイルが以前よりも確立してきた気がする。


僕にとっては、今後音楽をやっていく上でも、ものすごく大切な1週間となった。


でも、それもこれも、これだけのメンツを集めて仕切れる素晴らしい人物、

寺岡呼人さんに誘ってもらわなかっ“タラ”無かった出来事だ。


そう、今の自分がこうして存在しているのは全て、

この人との出会い、そして出会う事となった”タラ”に繋がっている。


先週の1週間は自分にとって確実に必要な1週間だった。

この1週間を過ごせたかいなかによっては今後が変わっていたかもしれない。


では幸運にも、この1週間を過ごせる事となった人との

出会いの”タラ”はどこまで遡れるのだろう。


では振り返ってみる。


呼人さんに誘われなかっタラなかった。


呼人バンドのドラマーがたまたまスケジュールが会わない

という事情がなかっタラなかった。


呼人さんと僕との共通の友人、蔦岡さんが彼を

アポロ&バンプスクールのライブに誘い、

出会いを作ってくれなかっタラなかった。


出会いがあったとしても、アポロ&バンプスクールのジャンルが

すごくハードだったりパンクだったりしタラなかった。


という事はアポロ&バンプスクールに参加していなかっタラなかった。


という事はアポロのギター土屋さんに、今年の春、

下北沢にて話かけなかっタラなかった。


例え出会っていたとしても、エンリケさんとのレコーディングの仕事に、

大胆にも土屋さんに仕事依頼の電話しなかっタラ

おそらくアポロに誘われる事はなかった。


例え誘われていたとしてもフリーの立場でなかっタラ参加出来なかった。


これらの機会を作ってくれたエンリケさん蔦岡さんに

出会っていなかっタラなかった。


エンリケさん蔦岡さんと出会う事となったストリートビーツに

参加していなかっタラなかった。


ストリートビーツを紹介してくれた増元さんに出会わなかっタラなかった。


増元さんに出会う事となった佐々木和也に出会わなかっタラなかった。


佐々木和也を紹介してくれたカメラマン菊池さんに出会わなかっタラなかった。


菊池さんに出会う事となったマグネッツに参加していなかっタラなかった。


マグネッツを紹介してくれた志賀さんに出会わなかっタラなかった。


志賀さんと出会う事となったビックスランバースに参加していなかっタラなかった。


では、何故ビックスランバースに参加する事になったのか?

東京に来た11年前プレイヤーという雑誌に

”当方ドラマー。タイトなビートを好む。プロ志向 22歳 男 連絡待つ”

と載せたからだ。


やっと自分発信までたどり着いた。

この自分発信以外は全て人との出会いだ。


こうして考えると本当に多くの人に助けられながら生きている事がわかる。


皆さんに感謝。


この時もし「プレイヤー」ではなく「バンドやろうぜ!」に載せていタラ

その後の人生は今とどう変わっていたのだろう?


カラオケの第一興商製作部でバイトしていた頃、

「このまま社員にならないか?」と誘われた時に

OKしていタラどうなっていたのだろう?


ムッシュかまやつさんは31歳の時にスパイダースが解散して、

その後ボーカルの堺まさあきさん他がテレビに進出する中、

自分は行き場を失ったらしい。


その時、今後どうやって暮らしていくか悩んでいる時に、テレビ局から

「制作の仕事をしないか?」と誘われたと言う。

そして出した答えは「No」

特に今後の予定があったわけでもないが“どうにかなるかぁ”と思って断ったと言う。


その時に作った歌が先日も演奏した「どうにかなるさ」

「あの時テレビ局に入っていタラ今頃はどうだっていたんだろう?

 入いらなくて良かったよ、アナタもこのまま続ければいいと思いますよ」


と、ありがたい言葉を僕にくれた。


ムッシュかまやつさん、実際に現在も知ってのとおり現役である。

素晴らしい人生だ。


そこに、

何々したら良かった・・・

何々すればよかった・・・

のような後悔は無い。


たら、れば、を後悔の意味ではなく、

ムッシュかまやつさんのように

前向きな意味で使い続けられる生き方をずっとしていきたいと思う。

 

ゲストコラム 中嶺真也

 

もしも○○したら

この言葉を僕はよく使う。

なぜなら、この言葉を口にしたり心の中で思う時っていろいろ想像が膨らみ

とても楽しい気分になれるからだ。

僕は美容師という仕事をしている。今は店に雇われてる立場だが

「もしも自分の店が出せるとしたら」と

考えると楽しくてしょうがない。場所や店の名前や店内の内装など

考えるときりがないばかりか

疲れてしまうくらいだ。でもとても楽しい。

僕にとって「もしも○○したら」と想像することは自分の夢への第一歩なんだと思う


ものすごく小さな一歩目だけど絶対必要じゃないだろうか?

だって自分自身で想像もできないようなら

現実にはもっと難しいことであり叶えるられることなんてありえないような気がする


だから自分の目標や夢に到達した人さらにその上の目標や夢に向かって歩いてる人を

みてると羨ましくもありくやしくもあり尊敬もしている。

恵まれたことにそんな人達がまわりに数多くいるので僕もその人たちのように

ならなければと思ってはいるものの

まだ僕の場合「もしも○○したら」と想像するだけの夢への一歩目止まりなんです。

とりあえず一つ目の夢が達成できるようにがんばらなければ。

ちなみに牟田さんも僕が尊敬している人の一人です。くやしいけど。

でも仕方ないかなんせ牟田さんは人生の勝ち組ですもんね。

 

 

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