コラムを書き出し、はや24回を迎える。
では何故毎週コラムを書いているのか?
実は「じゃんま」というHPがあり
そこでコラムを書いてくれと頼まれ書いているのである。
そして、せっかく書いた文章だからと思い
自分のHPに載せているのである。
では何故じゃんまでコラムを書いているのかと?
それは、B級コラムでも一緒であり、
昔一緒にバンドをやっていた事もあり、
伊豆の海でホモの集団に出くわした事もあり、
六本木のどこかの階段で共に酔って寝ていた事もあり、
そして、じゃんま管理人でもある、
松嵜信太郎と10年来の友達で、
彼に頼まれたからである。
これまで学校を卒業して以来、
文章を書いた事などほとんど無かったのだが、
昨年何年かぶりにちょっとした仕事で3度程書いた。
これが思いのほか評判が良く、気を良くしてしまった。
その時の経験から
「自分は案外文章が書ける、毎週でも平気だろう」
と思い、気安くOKした。
案の定最初の数週間は楽勝で書けた。
"俺って結構才能あるじゃん"とも思った。
しかし回を重ねる毎に、慣れると思いきや徐々に大変になってきた。
今まで様々なバンドをやってきたが、
ここにきて初めて作曲者や作詞者の
産みの苦しみを、聞いてはいたが実際体感した。
最初のうちは、
自分の言いたい事、
常日頃思っていた事
エピソード、
カッコイイと思ったもののマネ
などネタがたくさんあり、
それを出せばよかった。
問題はそれを一通り出し尽くした後である。
その後もさらに同じペースで、
マンネリではなく、
かと言って突然別人になるわけでもなく、
手を抜くでもなく
興味の湧かれる物を出せるのか。
これは相当大変な事だ。
作詞作曲者の気持ちが
多少ではあると思うがよく解った。
人々が様々なアーティストに対して
「昔の方が良かったよなぁ〜」
などと言うセリフを言っているのを耳にする。
そして自分も、視聴者側に回れば
無責任にも、同じような事を言っていた。
視聴者側に回ればボクらは無敵艦隊になれる。
責められるものが無いのに、みんなで寄ってたかって、
いくらでも責められる無敵艦隊だ。
かと言って無敵艦隊は悪くない。
お金を費やすというリスクを背負っているからだ。
そして産む側は無敵艦隊を見方につければ
お金が入るというメリットがある。
でも今は産む側の苦しみを、発言者の苦しみを
多少だがわかり、安易に責められなくなってきた。
産む側の苦しみを理解出来たのは、
じゃんまのお蔭である。
じゃんまに感謝。
そしてもうひとつ解った事がある。
自分の中に蓄積してきたものを出し尽くした後、
そこに何があるのか?
何を絞り出せるのか?
実はここが本当の勝負所ではないだろうか?
実はここがその人の本質なんではないだろうか?
という事である。
最近仕事の関係でエイベックスの人とよく話す。
エイベックスの人はおかかえの何人もの作曲者に
毎月何十曲も書かせるらしい。
そしてその人が、
"もうネタを出し尽くしたカンベンしてくれ"
という状況になった後にさらに曲を書けるか?
そこがその人の才能と言っていた。
彼の意見をどうとるかは各個人の自由だが、
僕は"ナルホドそうかもしれない"と思った。
誰でも最初はパワーがある。
工夫してがんばり続ければ、
ある程度の所までは行ける事もある。
問題はその後である。
幻で消えるのか、自己の確立が出来るのか?
僕自身現在、人生面においてそこに立っていると思う。
興味の湧くコラムを書き続けられるかどうかは、
そういう意味での小さな擬似体験となっている。
じゃんまのいろんな人のコラムを読んでいてもそれは思う。
回を重ねるごとに良くも悪くもその人の本質が見えてくる。
文字を書きつづけるという作業はある意味恐ろしい。
知らぬ間に多くの人に自分の本質をさらけ出してしまっている。
しかしながらその作業により
知らぬ間に自分自身の考えや方向性の確立、宣言をしているとも言える。
僕にとってじゃんまで文章を書くという事は間違いなく
自分自身を良い方向に導いている。
産む側の楽しみを理解出来たのは
じゃんまのお陰である。
じゃんまに感謝。