今から15年以上前、世間に対する
プロレスの浸透度はものすごかった。
なにせ新日本プロレスが
毎週金曜夜8時からテレビでやっていたのだ。
まだビデオの無かった時代
金曜夜8時というのは
子供心に悩む時間帯であった。
なぜなら、当時一世を風靡していた
「3年B組金八先生」
「ドリフの8時だよ全員集合」
「新日本プロレス」が、
同時刻に放送していたからだ。
今考えれば不思議なのだが、
どの番組もしっかりと記憶がある。
おそらくガチャガチャとチャンネルを
変えまくっていたのだろう。
もちろんリモコンなんてない時代に。
しかし中でもやはりプロレスが1番好きだった。
新日本プロレスには目の前で見られるという
他の番組には無いリアリティーがあったからだ。
新日本プロレスは、
愛知県の小さな町蒲郡市にまで何度も来てくれる
唯一のメジャーなものだった。
毎週テレビに出ているヒーロー、
アントニオ猪木、藤波、長州力、タイガーマスク、
ハルクホーガン、アンドレザジャイアント等を
間近で見られるというのは興奮した。
当時高田はまだ前座だった。
蒲郡に新日本プロレスが来る時は
必ず見に行っていた。
そして当時中学、高校生だった僕は
この新日本プロレスを通して、
随分といろんな事を知り考え大人になったものだ。
「プロレスは八百長だからインチキだ!」
と言う大人に出会った。
そもそもサンタクロースの存在すら
知らなかった僕にとっては、
初のショッキングな裏切りのセリフだった。
最初は子供ながらに
「そんな事は無い!あれは本気だ!」
と言い張った。
しかし、だんだんと"やはり八百長かも・・・"
と思うようになり、プロレスへの不信感を持った。
しかし、後に、不信感を持つ事は間違っていた!
という事にも気付いた。
プロレスを見に行った自分がテレビに映っていた、
という事が何度かあった。
ゴールデンタイムに自分がテレビに映るというのは、
なかなか興奮するものだ。
それもあってよくプロレスを
見に行っていたのかもしれない、
が、時にはテレビ中継が入らない日もあった。
そんな時、残念と思うと同時にある事に気付いた。
テレビ中継が入らない日もあるという事は
プロレスの試合は少なくとも週1回以上は
あるという事なのだ。
そしてスケジュールを見ると、
なんと毎日かという程試合をしているではないか!
あんな事を毎日!日本中で!
時には試合結果が決まっていた事もあっただろう。
時には放送時間に合わせ試合が終わる事もあっただろう。
しかし怪我もせずにあんな事を毎日やれるなんて
ものすごくプロの仕事と体であり、
これをインチキなんて一言でかたづけるのは
あきらかに間違っている!
と僕は子供ながらに考えた。
確かにガチンコかと思われる前田の出現は衝撃だった。
ショウ的要素が薄れ本気の格闘が出始めた。
見る側もケンカのような格闘がある事に気付いてしまい、
それでなければ興奮しなくなってしまった。
しかしながら本気の格闘など毎日出来るわけもなく、
いつしか新日本プロレスはゴールデンタイムから消えた。
予定調和を作ってでも、明日の試合を待つお客さんのために
怪我をしない格闘家。
試合回数を年に数回に減らしてでも、怪我を覚悟で、
本気で戦う格闘家。
どちらもインチキではなく正しいと思う。
プロには様々な形があるという事。
人々は常に過激な刺激に飢えているという事。
狭い物の見方しか出来ないあの大人はアホだという事。
以上3つはプロレスを通じて学んだ事である。
そしてもう一つ学んだ事がある。
これは書くべきかどうか悩む世の仕組みだ。
気付いた方もいるかもしれないが、
金の無い子供がどうしてそんなに
いつもプロレスを見に行けるのか?
そんなの簡単!
タダで見ていたからだ!
中学生の頃は近所の雑貨屋のオヤジが
いつも試合前日くらいになると
「プロレスに連れていってやろうか」
と誘ってくれた。
当時は、単なる子供好きな大人のサービスだろう
とあまり深く考えなかった。
実際子供好きのいい人だった。
しかしながら、いくらいい人だとはいえ、
毎回、その辺の子供のために、
わざわざ何千円もするチケットを
何枚も買ってくるというは、ちょっとおかしい。
なにかそれなりのわけがあるはずだ。
その謎は高校生になりレストランで
バイトをした事によりわかる事となった。
プロレスの数日前、店長に
「プロレスにチケットを買わないか?」
と言われた。
僕は欲しかったが
「お金が無いからいい」
と断った。
「安くしとくぞ」
とまで言われた。
相当売りたかったようだ。
しかし前日になり
結局、雑貨屋のオヤジと同様、タダでくれた。
その後も何度か売れ残ったチケットを
「まいったなぁ〜、やるよ」
と苦笑いする店長からタダでもらった。
店長は町にプロレスや演歌歌手が来るたびに
憂鬱そうだった。
僕はすごくうれしかったのに
店長はなぜか憂鬱そうだった。
夏祭りの夜、その謎は突然解けた。
毎年恒例の夏祭り、
レストランにチケットを持って来た人が
チョコバナナを売っていた。
世の中の仕組みがちょっとだけ
わかった瞬間であった。