表現者が神の領域に達する、という事は、相当難しい事だと思うが、
表現者が神の領域に入ってしまうという事はしばしばあると思う。
がしかし、あると言っても年に1回あるかないか、というのが、 多くの表現者の平均回数ではないだろうか。
僕自身、年に1回あればいいほうである。
そして多くの表現者は、この1回を、また味わいたいがために、 日夜努力している人も少なくはないだろう。
神の領域に入るというのはどういう事なのか、
多くの表現者、ここでは、話をわかりやすくするため、 演奏者に限定すると、
多くの演奏者は、演奏するにあたって、 その曲に入り込んで、気持ちよく演奏するという純粋な気持ち以外に、 なんらかの邪念をもって演奏している事が多いと思う。例えば、
”今日はいい演奏が出来てるだろうか?”
”客の反応がいいなぁ”
”客の反応が悪いなぁ”
”どんな表情しようかなぁ”
”次の曲あんまり好きじゃないんだよなぁ”
”なんか今日調子悪いけど、調子いいふりしようかなぁ”
”偉い人が見に来てるから、うまく演奏しなきゃ”
”あれ、次はサビだったかなぁ?”
などあげたらきりがない。
ましてや、演奏する事を職業にしている、 もしくは、しようとしている人ならなおさらだろう。
何かを考えながら演奏するというのは普通の事だし、 むしろ無心で曲に入りこむという方が、まれである。
がしかしだ、 年に1回あるかないかという割合で、この”まれ”が起こる事がある。
本当に曲に、ステージに、入り込んでしまうのだ。
これにはいくつかの偶然も必要とされるのだが、
この時は、なんと言ったらいいのだろう、
本当に自然に、勝手に体が動いていると言うか、
なにをどうプレイしていたのかを後から全然思い出せないと言うか、
何かが降りてきてしまったような、
うまくは説明できないが、とにかく気持ちがいいのだ。
おそらく脳内にアドレナリンが出まくっている事だろう。
この状態の時に、気づいたら、よだれが出てしまっている時があるのだが、 有名なブルースギタリスト山岸氏の言葉によれば、 このよだれを神の水と言うらしい。
そして、この状態になった時は、 一瞬ではあるが、神の領域に入ったと言えるのではないだろうか、と思う。
バンドを組たてや、入りたてというのは、すごくいいライブが出来る事が多い。
やる側も、見る側も純粋で新鮮な気持ちの人が多いからだ。
実際、サッズでのロンドンでのライブやストリートビーツに参加した時の1回目のライブは、 僕的には神の領域に入っていたような気がする。
が、それとは別に、1度あきらかに理由があって、 神の領域に入ったかのように、曲にのめり込み、 あちこちから神の水を出しながらライブをした事がある。
1996年3月9日渋谷公会堂ザストリートビーツにて「親愛なる者」演奏中
この時は本当に曲にのめり込んで演奏したのを憶えている。
なぜかと言えば、この曲の歌詞は実話であり、その実話を僕自身が見てきたというのが大きな理由だろう。
1995年10月28日ビーツの秋のツアー初日長野を終え、僕の地元でもある、名古屋クワトロへ移動中、ギターセイジの靴の紐が切れた。
彼はボーカル沖の弟である。
クワトロでのライブはオープニングアクトのバンドがいた。
がしかし、なぜか、ビーツが先にライブをした。
当時のドラムとベースである、僕とエンリケさんには、その理由は伝えられなかった。
ライブ中、なぜか沖さんは普段ではありえない事だが腕時計をし、時間を気にしていた。 ライブが終わり気づくと、すでに沖兄弟の姿はなかった。
そして久々に再会したクワトロの店長もいなかった。
いないどころかライブすら見ていなかった。
2人は地元広島に向かったのだ。
なぜなら彼らの父親が急性心不全で倒れ危篤になったからだった。
そしてクワトロの店長は 「名古屋駅まで、タクシーなんかより俺の方がはやい」 と自分の車にエンジンをかけ、ライブ中、クワトロの入り口で待っていたのだ。
僕らには、気をつかって、ライブ前には伝えなかったらしい。
しかしながらツアーは始まったばかり、中止するわけにもいかず、その後、大阪や九州でのライブに、沖兄弟は、毎回広島との行き来をする事となった。
その結果、当然の事ながら、2人はライブの直前、直後に会場と駅とをタクシーでの移動を余儀なくされた。
そんな事とは知らず、客の間では
「バンドにも関わらず沖兄弟だけがタクシーで移動なんて・・・」
などと沖兄弟を非難する噂までたち始めた。
11月1日ちょうど広島でのライブが終わった翌朝、蒼く澄みきった空の中、
我が息子達のライブを地元広島で見届けた、といわんばかりに沖兄弟の父は亡くなった。
それでも、ライブは続く、その翌日から福岡での2デイズ。
沖兄弟はどんな気持ちでライブをした事だろう。
いつもどうり、いやそれ以上に熱いライブが行われ、11月4日に葬儀となった。
このスケジュールの中、いつ、その言葉を考えたのだろうか、
喪主である沖さんの挨拶は素晴らしいものであった。
実際は悲しいはずもない僕までが、その挨拶に涙した。
以上の事柄が、決して長くはない、その歌詞に凝縮されている。
96年3月9日渋谷公会堂にて、その「親愛なる者」を演奏中、
僕の目の前には客席ではなく、95年の秋の風景が広がっていた。
最近、熱い歌詞を歌うバンドは少なくなってきた気がする。
やはり、どこかカッコ悪いという空気があるのだろうか。
しかし僕はそんなバンドが嫌いではない、
魂の叫びをストレートに伝えるバンド、THE STREET BEATSを、
僕はこれからも応援していきたい。
「親愛なる者」 96年ビクターより発売 THE STREET BEATS/LOVE,LIFE,ALIVEに収録
それにしても昨日は、沖さん達と新宿ゴールデン街でよく飲んだ。