やべきょうへいに会う

 

ある日僕はTSUTAYAに足を運んだ、そして邦画コーナーへと急いだ。

あった「喧嘩の 華道」123の3本立て。

その日僕はその映画の良さに立て続けに3本とも見てしまっ た。

単なるヤンキー物ではなかった。

そもそもなぜこの映画を観たかと言うと昨日、 以前サポートで参加していたストリートビーツのライブを観に行き、打ち上げでたま たま「やべきょうへい」なる人物の隣に座った。

彼は役者で非常に魅力的な人物だっ た。

ぜひ彼の出演している映画が観たく、聞けば「喧嘩の華道」「キッズリターン」 等に出演しているという。

それで観たのだ。

しかも彼は主役だった。

大まかなストー リーは、大阪を舞台に喧嘩に明け暮れる男3人とその親友の女の子の青春物で、喧嘩 では負け知らずの主人公がある日ボクサー相手に敗北を知り悔しくてボクシングを始 める。そしていつしか日本チャンピオンを目指すのだが、新たな挫折がと・・・おそ らく辰吉がモデルになっている話なのだが、他の3人の話も実に切ない、理想と現実 に葛藤する4人の姿が切々と映し出されてる実にいい映画だ。

この映画を観、自分の 十代後半の頃を思い出した。

彼らと同様僕も「俺はドラムでプロになる」と決めた日 がある。

それは20歳の夏だった。

18の頃地元の友人とジャンクスというバンドで活動していた。

が当時バンドでプ ロになろうという気はなく、東京デザイナー学院名古屋校に通っていた。

真剣に取り 組んでいた僕は2年の夏単位も取り付くし、就職も内定していた。

そんなある日、豊 橋で活動するHATENKOというバンドのメンバーから電話がきた。

僕はそのバン ドに憧れていた。

しかし彼らとは全く面識はなく年は2つ上だった。

そして突然「牟 田君だよね?話があるんだけど会えないかな」と

会いに行くと、

彼らは「俺らはプロ を目指す、俺らと一緒にやらないか」と僕を誘った。

とてもうれしかったが困った。

就職も内定しているし、ジャンクスもあるし・・と、

そして答えた「1週間考えさせ てくれ」と。

僕は夏休みという事もあり翌日から彼女と東京へ車で旅行に行く事に なっていた。

その間に考えようと思った。

東京に着くとすぐにライブハウス巡りをし た。

偶然にも後にデビューする事になるバンドを2つも見た。

東京に興奮した。

興奮 のあまりか、帰り道事故を起こした。

悪いのはこっち。

幸いにも怪我はなかったが、 自分の車は廃車、

相手は新車、

任意保険には入っておらず、

彼女は親に内緒だった。

落ち込んだ。

彼女の父親に謝りに行った。

怒られ許してもらった。

家に帰り今後かか るお金の事を考えつつも2日間ボーッとした。

3日目の朝決意した

「こうなったら学 校も就職もやめて、とことん働き、東京に行ってプロになってやる」

プロになろうと 決意した日であった。

その後どうなったかと言うと、

僕はHATENKOに入り、現場仕事をしながら、 東京目指し必死にがんばった。

しかしわずか1年半後早く東京に行きたかった僕はメ ンバーと意見が割れ単身東京に行った。

そしてなぜか事故の請求がこなかった。

時は バブル、相手は社長の息子、車の1台や2台どうって事ないのだろう。

上京した僕はいくつものバンドを渡り歩き27でやっとドラムだけで生活できるよう になった。

そしてサッズと言うメジャーなバンドのメンバーになりオリコンに入ると いう事も経験したりして、現在はフリーのドラマーとして活動している。

ちなみにHATENKOの他のメンバーと当時つき合っていた彼女はどうなったか・・・

ギターは東京でフリーのミュージシャンに、

ベースはアクセサリー職人となりNALというブランドを作った。

ヴォーカルはサラリーマンとなり先月2人目の子供が出来た。

そして彼女は・・・その2人の子のお母さん。

人生いろいろだ、何があるかわからないし、今が全てでもない。

日々精進だなぁとこれ を書いてて思った。

がんばろ。

 

 

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