SHORT ESSAY
   


 

 「 生 き 抜 く 」 と い う こ と

 「生き抜くということ」

 今私は、この原稿を公演中の舞台「午後の遺言状」の楽屋で書いています。

 この作品は、95年に故杉村春子さん、乙羽信子さんの出演で公開された映画を舞台化したものです。

 御存じの方も多いかと思いますが、この作品は、乙羽信子さんの夫である新藤兼人監督による原作・脚本であり、映画でのメガホンは当然新藤監督がとられました。

 当時末期ガンに犯されていた乙羽さんの遺作となり、その乙羽さんと新藤さんとの深い信頼と愛情のある結びつきに感銘を受けた作品でした。映画の公開を待たずに乙羽さんは亡くなりましたが、数々の受賞をされています。

 私が初めて新藤監督とお会いしたのは、今から16年程前になりますが、「地平線」という映画の仕事でした。摂氏50度のアリゾナ砂漠で、水分補給の為にスタッフ、出演者全員が看護婦さんに見守られながらの苛酷な撮影でしたが、当時すでに70才だった新藤監督が一番元気に動き回っていた事が印象的でした。

 私は乙羽信子さんの娘役を演じさせて頂いていましたが、撮影の合間こっそりと、新藤監督との情熱的な恋愛物語をさりげなく語られる乙羽さんの優しい笑顔も思い出されます。

 そして、今回の舞台で久しぶりに新藤監督と再会したわけですが、稽古中から毎日驚かされる事の連続となりました。

 何よりもまず、今年87才になられる監督の「舞台演出」は初挑戦だというのです。

 「87才の初挑戦」と新聞広告にも載りましたが、年令を感じさせない湧き出るエネルギーには、圧倒されるばかり。

 年をとるという概念を根底から崩された気がします。

 芝居の演出は、舞台も映画も変わりないとおっしゃる監督の指導は、丁寧で決して強制することなく、根気強く役柄の心情を説明して下さいます。16年前、まだ芝居の道に入り始めたばかりの私に、ただ「歩く」という自然な動作を表現できるまで、何時間も粘り、フィルムを回さず半日近く、ひたすら歩くことを練習した記憶が蘇ります。

 まだ、幼かった私は、半べそをかきながらコチコチになって普段どうやって歩いているのかさえ、分からなくなる程混乱してしまいましたが、若いうちに得た貴重な体験としてその後の私の芝居に大きな影響を与えてくれました。

 普段の新藤監督は、演技中の厳しい表情とは違い、穏やかで常に身の回りの物や、出来ごとに興味津々な眼をなさっています。

 先日も、稽古の合間に私の持参していたデジタルカメラで記念撮影をしたところ、「それは幾らぐらいで買えるのかね」と、コンピュータの世界にも柔軟な興味を示されていました。

 初日の幕が無事に開き、カーテンコールの終わった舞台のそでで、スタッフ一同とささやかな乾杯を交わした際、「僕は今、22才の頃と全く同じ心境で興奮しています。この作品が僕の人生の中で、大きなポイントとなって今後の仕事に影響していくと思います。」というような新藤監督の挨拶がありました。

 私自身にとってもまた、今回の舞台で新藤監督と仕事が出来た喜びは言葉に代え難く、この芝居のテーマである「人間は生きている限り生き抜かなくてはならない」という重みを感じています。

 最後に、新藤監督がインタビューで答えていらした「代表作は何ですか?」の質問に「チャップリンと同じく、NEXT ONE(次回作)です。」という言葉をそのまま、私の人生においても、そう答え続けていけるものにしていきたいと思っています。

 


 

 

 

 

 

 

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