SHORT ESSAY
   




こちらのエッセイは

2007年3月東京新聞に連載されていました。

 
学 芸 大 学

  1年の郊外での生活を経て東京に近づく場所として選んだのは世田谷の『学芸大学』でした。

その当時写真誌の芸能人に対する張り込みも厳しくなり出したせいか、芸能人お断りのマンションも多く、部屋探しには苦労しました。

ようやく見つけ出してみると、同じ様に苦労した芸能人が結局集まってしまい、学芸大学で住んでいたマンションの住人はほとんどが芸能関係者でした。

ここで私はとんでもなくパチンコにはまった生活をしていました。

パチンコ業界が華やかな時代だったせいもありますがパチンコ歴を思うと祖父との思い出が蘇ってきます。

確か私がまだ幼稚園の頃だと思いますが、祖父に連れられ、立ち寄るパチンコ店は運が良ければ、チョコレートやガムをもらえる、子供心にも魅力的な場所でした。

いわゆるチューリップにめがけて親指の加減が試される様子は、運試しがほとんどの現在のパチンコとは違い、技術の
いる作業である事を子供ながらに興味をもって見ていたように思います。

 この祖父と私のつながりは私が生まれた時からとても深いものがありました。

それは二人が60年に一度だけ訪れる『丙午』生まれであるだけでなく、2月5日生まれと言う誕生日まで共通していたので
す。

つまり祖父の60歳の誕生日に私が生まれたわけです。

69歳で亡くなった為に、それほど多くの年月を一緒に過ごした訳ではありませんが、今でも自分の性格の一端に、祖父の面影を感じることがあります。

まぁパチンコにはまった事までを祖父の血筋としてしまうのはどうかと思いますが、学芸大学では、駅前を歩いていると、『最近出てる?』と頻繁に声をかけられ、少々照れくさい思い出が残っています。

余談ではありますが、写真週刊誌に私も当時、記事を掲載された経験がありますが、後になって記者さんから聞いた話では、張り込みの際には私の隣に座ってパチンコを打っていたそうです。

 


 

 

 

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