2 度 目 の 写 真 集
「脱がなければ女優になれないのなら、女優にはなりません。」そう断言した1年後、私はドイツのバイエルンに、篠山さんと共にいました。
17才。澄んだ空気、見渡す限り自分達以外には誰もいない大自然の中、信念はどこえやら、全裸でいる事の方が当たり前のように、太陽を浴びる心地よさを感じていました。それが私にとっての、いわゆる「篠山さんマジック」との出会いだったのです。
その後、暑い国バリ島、生まれた国スウェーデンと撮影は続きましたが、どの場所においても被写体でいる時間は、非日常的な空間を味わっていた気がします。
たった1度だけ、「なんで今私は裸なんだろう」と現実に戻り、こみあげる不安で涙を見せたこともありましたが、それも今では、大切な写真集の1ページとして残っています。
写真集が発売された17才の当時は、その1冊の本に対する反響に戸惑い、恥ずかしさのほうが大きくて、「宝物です」と発言することで強がっていたところもありました。
でもあれから丁度倍の年月、17年を経るうちに、その言葉を心から言えるように変わっていたのです。
篠山さんの写真に残された17才の私は、自分が年を重ねる事によって,年々その輝きを増していきました。だからこそ、それを自らが汚したくないという思いから、ヌードとして写真の被写体になる事を頑に拒否した年月
を過ごす事となったのです。
そして34才。当時へアメイクを担当して頂いた矢野トシ子さんとの偶然の再会が私の中で17年前の撮影を昨日の事のように蘇らせてくれるものとなりました。
「篠山さんに逢いたいな・・・」それが素直な気持ちでした。
その数カ月後、私は再び篠山さんと、私にとっては初めての地、パリのエッフェル塔の前に立つ事になったのです。
「緑の光線」「汚れた血」「セルジュゲーンスブール」「モラーヌ」・・・。
映画や、音楽はフランスに関わる物が好きなのに、その土地をまだ踏まずにいた私に篠山さんは、パリというロケ地を選んで下さったのでにす。
2000年のクリスマスを間近に控えていたパリは華やいでいながらも、ほんのりと雨に濡れた石畳が幻想的な空気を演出してくれていて、予想どうり私はその街に一目惚れをしていました。
そして、篠山さんとの撮影には、いつも音楽が側にあります。パリに出発の前夜、荷造りをしながら、まだ訪れた事のないパリの匂いをどんな音楽にのせようかと試行錯誤しながら、数枚のCDを選んで行きました。
その中の一枚「橋の上の娘」の映画音楽が今回は厳選され、写真を一つの世界に導いてくれています。
17才に34才が加わり、私にとっての20世紀が1冊の写真集として出来上がりました。
偶然の積み重ねが大好きで、そこにはなに一つ欠かす事の出来ない、タイミングに支えられたエネルギーが隠されていると信じています。
ここに残した宝物の時間を、これからの自分がどう見つめて行くのかを楽しみにしながら21世紀、また振り出しの第一歩です。